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令和二年一月十九日 ミスタードラゴンズ [中日春秋]


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最近読んだ本、『銀河鉄道の父』門井慶喜著と『江戸の糞尿学』永井義男著が面白かったです。
宮沢賢治を父親である政次郎の視点で書かれたもので、読後しりましたが『銀河鉄道の父』は直木賞受賞作でした。
『江戸の糞尿学』は、江戸の糞尿はどう処理されていたのかが書かれています。小学校に上がる前までは汲み取り便所使用者。当時は肥桶を担ぐ人もをよく見掛けたし、畑には糞尿を醗酵させる肥溜めがありましたが、そんなところは江戸時代とまったく同じでした。

<このうえもなく、悲しい言葉。それは『ティンカーからエバースそしてチャンスへ』>。一九一〇年発表の「ベースボールの悲しい語彙(ごい)」という米国では有名な詩である

▼なぜこれが悲しい言葉なのか。三人の名は当時のシカゴ・カブスの遊撃手、二塁手、一塁手である。つまり描いているのはティンカーから二塁手、一塁手へとボールが渡り、併殺が完成する場面である。作者はニューヨークの新聞記者。カブスの巧みな併殺技によってしばしば好機を逃したニューヨーク・ジャイアンツのファンの立場から「悲しい言葉」とそのトリオの名を書いた

▼<高木から広瀬そして谷沢へ>。あるいは<高木から正岡そしてマーチンへ>。そうまねるが、今はファンには「悲しい言葉」に聞こえるか。中日の名二塁手として活躍した高木守道さんが亡くなった。七十八歳

▼二塁手の<高木から…>としたのは得意のグラブトスを思ってである。中前に抜けようかという当たりを、あの小柄な二塁手は逆シングルでさっとつかみ、そのままグラブから遊撃手にトス。球場はどよめく

▼守備に加えた俊足、好打。ヤマを張った長打もある。優勝した七四年、六月の阪神戦。古沢の初球をかっ飛ばしたサヨナラ3ランを当時の少年ファンはいつまでも忘れぬ

▼<一番高木が塁に出て>(「燃えよドラゴンズ!」)。一塁上が寂しくてたまらない。
中日新聞:中日春秋(朝刊コラム)


今月12日には板東英二さんのCBCラジオ「坂東サンデー」に元気に出演されており、今週は「ダブルプレー」について話す予定だったそうです。今日はその放送を聞きましたが、努めて明るく振舞っているようで、坂東さんの深い悲しみが分かりました。

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コメント 6

青い森のヨッチン

神奈川出身の自分ですが何故か野球はドラゴンズ。
高木守道さんお選手時代はギリギリ知らない世代ですが監督時代の高木監督のことはよく覚えています。
突然だったのでびっくりしました。
by 青い森のヨッチン (2020-01-20 13:06) 

tsun

青い森のヨッチンさん
亡くなった17日はゴルフの予定も入っていた、なんて記事もありました。本当に突然だったみたいですね。
監督時代はいろいろありましたが、あと一歩が無かったですね。
by tsun (2020-01-20 18:05) 

ぼの

子供のころから高木さん、好きでした。
草野球のとき、必ずセカンド守りました。できもしないのに…ねぇ(笑)
合掌
by ぼの (2020-01-20 22:56) 

いっぷく

グループ内を「人事異動」するのは中日の特徴ですが、3回も監督をつとめたのは高木守道さんだけじゃないのかな。解説を聞いているとおとなしそうな方ですが、結構コーチとの確執もあったし、まあ我が強くないとプロではやっていけませんしね。合掌
by いっぷく (2020-01-21 05:56) 

tsun

ぼのさん
内緒ですが、小学校では「(帽子を被っていると)高木に似ている」と言われてました。
by tsun (2020-01-21 13:36) 

tsun

いっぷくさん
坂東英二さんと(名古屋での)ラジオ番組で一緒の時は、必ず坂東さんをクルマで迎えに行っていたそうです。でも、車内ではほとんど口をきかないくらい、無口だったそうです。でも、頑固で我がまま。そういう人だったみたいですね。
by tsun (2020-01-21 13:42) 

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