漢詩をよくした夏目漱石は、『草枕』で詩作を葛湯(くずゆ)づくりに例えている。初めは練っても手応えがないが、<そこを辛抱すると、ようやく粘着(ねばり)が出て、攪(か)き淆(ま)ぜる手が少し重くなる>。そこで手を休めてはいけない。まぜ続ける。そうすればむこうから<争って箸に附着(ふちゃく)してくる。詩を作るのはまさにこれだ>
▼手応えは乏しくても、休まずにあきらめなければ、求めるものはやがて来る。土俵上にも通じようか、「吉野葛」の産地でもある奈良が生んだ遅咲きの力士の躍進に思う
▼初場所で、幕尻から初優勝をつかんだ徳勝龍は三十三歳。初めての賜杯としては年六場所制になって三番目の年長だ。横綱、大関らを生んだ大豊作の世代にあって辛抱が続いた人のようである
▼長く関取でありながら、十両にいることも多く、脚光は遠かった。ただ、躍進の手応えが乏しい時期も、自らを練り上げる手を止めなかった。体づくりも人一倍熱心だったようだ。そうして手にしたのが、今場所ものをいったあの粘り強さであろう
▼出会ってきた指導者の教えが、宝物のような支えであったようだ。場所中亡くなった大学の恩師が「一緒に土俵上で戦ってくれた」
▼漱石の弟子、寺田寅彦は頭のいい科学者は足の速い旅人と同じで、道ばたの宝物を見落とすおそれがあると書いた。遅咲きの力士は宝物を胸に、ゆっくりと歩んできたようだ。
中日新聞:中日春秋(朝刊コラム)
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