昭和16年(1941)当時
先日探索してきた名古屋港の跳上橋。
その跳上橋を通っていた汽車の線路は中川運河の河口で終わっていました。
その先、線路がどのように伸びていたのか気にっていました。
現在
その私の疑問に答えてくれたのは図書館でした。
日曜日に図書館に行ったときに、たまたま見掛けた古地図コーナー。
そこには臨港線が跳上橋に至るまで線路が書かれた地図もありました。
そして分かったこと。
現在の終点から東斜めに南下して跳上橋を北から南へ汽車が通っていたものだと考えていました。
しかし、実際は終点から真っ直ぐに南下して傘の柄のように東へぐるっと回って南から北でした。
赤丸が現在の臨港線の終点。
青丸が跳上橋の場所。
再び、名古屋港跳上橋名古屋港跳上橋桜はまだのようです土曜日な一日音は屈折するそうな名古屋港線Wikipediaより-------------
名古屋港周辺に建設された貨物支線のうち、最も古い歴史を持つのがこの路線である。1911年に名古屋駅を起点として、名古屋港で船との提携による貨物輸送を行うために建設された。後には、名古屋市場駅(名古屋市中央卸売市場への輸送)への貨物支線や堀川口駅までの延伸もなされ、昭和半ばまで貨物輸送で賑わいを見せることになった。
しかしJRの前身である日本国有鉄道(国鉄)での貨物輸送の衰退に伴い、山王信号場 - 名古屋港駅間以外の区間はすべて廃止され、名古屋港駅そのものの設備も縮小し、現在では週に3往復レールを輸送するための列車が走るだけの路線となっている。
当路線での旅客輸送は、開業から2か月間だけ実施された後は散発的に行われた。1937年の名古屋汎太平洋平和博覧会に際して臨時駅の名古屋博覧会前駅を設置し、名古屋駅との間にシャトル列車を運行した(会期の途中からは、当時最新鋭のキハ43000形気動車も使用)。太平洋戦争中の1942年に定期の旅客輸送が再開されたが、戦争末期の1944年いっぱいで再び廃止された。昭和30年代には貨物列車の後部に旅客車を増結し、混合列車として沿線にある中日スタヂアム(→ナゴヤ球場)への観客輸送を行った事があり、東海旅客鉄道(JR東海)が発足した1987年から1994年の間にも、同社が第二種鉄道事業者免許を収得してナゴヤ球場近くにナゴヤ球場正門前駅と呼ばれる臨時駅を建設し、同線に観客輸送のための臨時列車を設定した事がある(詳細は、正門前駅の記事を参照)。
また、名古屋港 - 堀川口間には海を跨ぐため、跳開式の可動橋が存在した。名古屋港跳上橋と言われ、設計は山本卯太郎である。これは1980年の路線廃止後も橋桁を上げた状態で固定されながら保存されており、1999年には登録有形文化財建造物に登録された。