第八十一番 巨渕山 龍蔵寺
第八十番 海鳴山 栖光院
第七十九番 白泉山 妙楽寺
開山所 白泉山 妙楽寺
名鉄寺本駅で電車を下りてすぐの所に龍蔵寺。
栖光院も龍蔵寺からすぐ。あっという間に2つ完了。
腹ごしらえして妙楽寺へ。ここも栖光院から1Kmありませんでした。
栖光院は開山所でもあり、ここで4つ完了。
第八十一番巨渕山 龍蔵寺1617年地蔵菩薩を帰依する京の公卿が当地に移り住んだ。その後この辺り一帯に悪病が流行し、村人が困り果てていた。そこでこの公卿が一心に地蔵菩薩にお祈りしたところ悪病はたちまちおさまり、村は再び平穏無事な日々を迎えることが出来たという。喜んだ村人たちはこの恩に報いるためお堂を建て霊験あらたかなこの地蔵様を奉安したのが当寺の始まり。この公卿は書の街春日井に縁の深い小野道風の祖先、小野篁の子孫との説がある。
ちたまるナビ(巨渕山龍蔵寺)
山門
本堂
大師堂
第八十番海鳴山 栖光院樹齢700年ともいわれる楠と仁王門が見事な景観である。開創は、戦国時代と伝えられ、もとは真言宗の寺であったが、1577年に改宗。本堂は切妻造、観音堂は1661年に再建され、釘をいっさい使わず、縄でしばって建てられたという。仏師春日の作本尊の聖観世音菩薩は再建以来、33年に一度の開帳法要が営まれている。裏山へ続く石段には四国88ヵ所の石仏「準四国88ヶ所」が並んでいる。
ちたまるナビ(海鳴山栖光院)
山門
本堂
大師堂
第七十九番白泉山 妙楽寺1390年後花園天皇の勅願により開創。その後の動乱期に兵火にあい堂宇をほぼ消失、さらに豊臣秀吉の朱印地没収により末寺は転散したが、1635年焼失を免れた大日如来・薬師如来・地蔵菩薩などを現在地に移し再興。
妙楽寺は開山所でもあり、境内の開山堂には発願者亮山阿闍梨が祀られている。
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山門
本堂
大師堂
妙楽寺は開山所でもあり、境内の開山堂には発願者亮山阿闍梨が祀られています。