第三番 海雲山 普門寺
第四番 宝龍山 延命寺
四番礼所の延命時はなかなか雰囲気の良いところでした。
とても楽しいぞ、知多四国お遍路。
第三番
海雲山 普門寺
「新四国第三番礼所」
山門
本堂
大師堂
第四番
宝龍山 延命寺
「新四国第四番礼所」
山門
本堂
大師堂
第四番 宝龍山 延命寺
四番礼所の延命時はなかなか雰囲気の良いところでした。
とても楽しいぞ、知多四国お遍路。
第三番
海雲山 普門寺
今から約1300年前このあたりは海岸で、毎夜海上に光りを放ち車輪が鳴り響くような不気味な音をあげるものがあり村人たちを不安にさせておりました。ある夜、一人の老人の夢に観音様が現れて「我をまつれ」とお告げがありました。次の朝海岸で一体の観音像を見つけた老人は村人と共にお堂を建ててこの観音像をまつります。すると昨夜までの音が嘘のように静まりました。それがこのお寺の始まりと言い伝えられています。
正面が本堂、その左手が観音堂でご本尊の十一面観音がまつられています。高さ104cm、杉の一木造り、昭和48年に大府市の指定文化財となり、17年に一度開帳されます。
ちたまるナビ(海雲山普門寺)
「新四国第三番礼所」
山門
本堂
大師堂
第四番
宝龍山 延命寺
往古は阿久比町辺りにあり、鎌倉時代に現在地に移ったといわれている。延命寺は七堂伽藍を備える大寺院であったが、戦火のためにすべて消失してしまったという。その後,1533年(天文2)に後奈良天皇より宝龍山という勅額を賜り,さらに横根城主の梶川氏や緒川城主の水野氏,さらに尾張藩主より二十石の禄や田畑山林の寄進を受けるが,かつての勢いを取りもどすことはなかったようである。当時の隆盛をものがたるかのような山門、昭和34年に県の指定文化財になった「刺繍普賢菩薩像」、狩野之信作・花鳥図、曼荼羅図など、宝物を数点所蔵している。
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「新四国第四番礼所」
山門
本堂
大師堂