第二十一番 天龍山 常楽寺
第二十二番 御嶽山 大日寺
第二十三番 意龍山 蓮花院
第二十四番 慶亀山 徳正寺
この日最初の常楽寺は降り立った名鉄成岩からすぐ近く。
歩いて体が温まる前に到着。
距離にして500mくらいでしょうか。
第二十一番天龍山 常楽寺文明16年(1484年)に天台宗仏性寺を改修し、空観栄覚によって開基された浄土宗西山派の寺院。尾張藩初代藩主の徳川義直からお墨付を得たとされる寺院である。賽銭箱にも徳川家の葵の紋が刻まれており、家康は3回来山したという。
「新四国第二十一番礼所」
山門
本堂
大師堂
徳川家お墨付きだけあり、かなり立派でした。
知多四国には珍しく、手水舎には綺麗な水が注ぎ込んでいました。
第二十ニ番御嶽山 大日寺行基菩薩開基で、本尊は桓武天皇の勅願寺阿野光照院の本尊仏。天文年間(1532~1555)の火災に際して大日池に沈めた。明暦年間(1655~1658)に尾張藩士の大島氏が仏像を拾い上げ、当時観音堂であった当所に安置した。弘法堂に祀る十一面観音は、藤原時代作とも言われる。
「新四国第二十ニ番礼所」
山門
本堂
大師堂
常楽寺から3Kmほど歩いて大日寺へ。
21番があまりにも立派なので22番のこのお寺は可哀想です。
こじんまりとしていますが趣きがあります。
第二十三番意龍山 蓮花院1966年に火災により本堂・弘法堂・観音堂・庫裏を焼失。その後、弘法堂、庫裏、本堂・客殿を再建した。1560年桶狭間の合戦に臨んだ徳川家康が、織田信長の奇襲にあって敗走した時、馬の轡を取って露払いしたのが縁で恩顧を蒙り、意龍山の号を賜ったと言われている。
「新四国第二十三番礼所」
山門
本堂
大師堂
大日寺からすぐ近く。
本堂が2階ありビックリしました。
大師堂も朱色が鮮やかでした。
第二十四番慶亀山 徳正寺永正10年(1513)、長田家の末裔・徳正道慶が源義朝の菩提を弔うために建立したのが始まり。地蔵堂には行基菩薩作の子安地蔵尊と千体地蔵尊が安置されている。本堂には廃仏毀釈の難を逃れてこの寺に移された天平時代の作といわれる十一面観音像も祀られている。
「新四国第二十四番礼所」
山門
本堂
大師堂
この辺りに、たまり醤油の醸造所があり独特な良い匂いがしていました。
写真にはありませんが、推定樹齢200年の「ウバメガシ」があります。