第二十五番 法輪山 円観寺
番外 達摩山 葦航寺
番外 慈雲山 影現寺
第二十六番 龍華山 弥勒寺
24番の徳正寺から富貴駅近くの円観寺へ。
この辺りから二男の「お腹空いた」口撃にあう。
まあ、私も空腹だったので、異議無しではありました。
第二十五番法輪山 円観寺創建は室町時代にさかのぼり天正2年(1574)に白山城跡の現在の地に移りました。金毘羅大権限を祀る護摩堂は、江戸時代に総ケヤキで建てられました。寺宝に、江戸期の小野市郎筆「襖絵」を改装した屏風があります。
「新四国第二十五番礼所」
山門
本堂
大師堂
徳正寺からは2Km以上あったでしょうか。
境内の中には石の小さなお地蔵さんがいっぱいです。
番外達摩山 葦航寺文化6年(1570年)開創されました。知多四国三開山の一人、武田安兵衛が祀られています。この寺の名称は、中国で禅宗を始めた達摩大師が、葦の船で南インドから中国に渡ったとされることに由来します。
「新四国番外礼所」
山門
本堂
大師堂
かなりお腹も空いてきましたが、我慢して葦航寺へ。
ここも知多四国のお寺にありがちな、小じんまりとした落ち着きのあるお寺でした。
番外慈雲山 影現寺永正元年(1504年)に開創されました。観音堂にある十一面観音菩薩は、昔佐久島の漁夫の網にかかり海中から出現された金色像で、夢のお告げで当地に移されたという。慶長11年(1606年)徳川義直公が尾張一円を巡察の途中にこの観音堂に休息しその由来に深く感銘、荒廃した堂宇を修復し安産祈願すると無事男子ご誕生。それ以降、寺紋に三つ葉葵を用いるなど尾張徳川家の庇護を受ける。
「新四国番外礼所」
本堂
大師堂
食事後、元気を取り戻し影現寺へ。
長い階段を登ると広大な敷地。
ここからの眺めは最高でした。
第二十六番龍華山 弥勒寺慶長元年(1596年)友林光益和尚によって開創されました。その後、宝暦3年(1753)の火災により建物の多くを焼失したが再建されました。明治40年(1907)には、第5世・奇関鉞巖大和尚により弘法堂が再建され現在にいたっています。
「新四国第二十六番礼所」
山門
本堂
大師堂
この日最後の弥勒寺。
日も傾き寒くなってきました。
りっぱな大師堂で、なかなかいい感じでした。
今回は次男が全て、納経所へ御朱印を貰いに行ってくれました。
「エライねぇ」と言われ、お菓子を貰えるのが嬉しそうでした。
また、ロウソク、お線香も彼の役目です。
なかなか作業も板に付いてきました。
問題はここから先。電車が無いんです。
自転車にするか思案中です。