第七十六番 雨宝山 如意寺
第七十四番 雨宝山 密厳寺
第七十五番 雨宝山 誕生堂
第七十三番 雨宝山 正法院
第七十七番 雨宝山 浄蓮寺
最後は山号からも分かるように5つまとまってあります。
慈雲寺からは1.5Kmほど。
佐布里(そうり)の5札所を参って今回は終了です。
ここから約3Km先の名鉄八幡新田駅で電車に乗りました。
しかし、駅に着く直前に電車が出てしまい、30分待つことになりました。
ここ5つの札所は元暦元年(1184)、後鳥羽天皇の勅願所として創建された如意寺一山九坊でした。その後の戦乱で一山九坊が焼失。明治初年の寺院廃却令によって、現在の一山四坊となりました。
第七十六番雨宝山 如意寺1184年開創。本尊地蔵菩薩は、運慶の作で、80年に一度開帳される。「雨宝山」の山号が示す通り、「雨乞いの本尊」として霊験が伝えられる秘仏である。
ちたまるナビ(雨宝山如意寺)
山門
本堂
第七十四番雨宝山 密厳寺本尊の十一面観世音菩薩は藤原時代の作といわれ、知多市内では最古の仏像。市の文化財に指定されている。境内には菅原道真を祀る天神社と白山信仰の白山社もあり、どちらも 300年近い歴史のある神社である。一か寺で複数のご利益が受けられる、珍しい寺。
ちたまるナビ(雨宝山密厳寺)
山門
本堂
第七十五番雨宝山 誕生堂40段の階段を登りきったところに当堂が佇む。誕生堂の名は、本四国霊場第75番札所の「善通寺」が弘法大師の誕生の地であることに由来している。もともとは雨宝山如意寺という後鳥羽天皇の勅願寺で、一山九坊からなる由緒ある寺だったが戦国の混乱で焼けたり明治維新の廃仏棄釈の流れで取り壊されたりして現在の形になったという。
ちたまるナビ(雨宝山誕生堂)
誕生堂
第七十三番雨宝山 正法院1184年後鳥羽天皇の勅願所として創建された。かつては、雨宝山如意寺正法院と称して幾多の寺領を有し、壮大な伽藍が立ち並ぶ一山九坊の本坊であった。たびたびの戦乱兵火により、一山九坊とともに古書、宝物なども焼失されたが、本堂は難をまぬがれ今にその姿を残している。今は、一山四坊の寺院となっている。なお75番、76番札所の朱印は、当寺で納印される。
ちたまるナビ(雨宝山正法院)
山門
本堂
第七十七番雨宝山 浄蓮寺1781年に本堂が建立された。「中風除の御箸」の授かる札所としても知られており、弘法大師が杖を裏山に植えたところ竹薮になり、その竹を切って砂で磨き天日干しして祈祷し分け与えたという。現在箸は用意されていないが、喜寿の77歳に通じることから、参拝者に親しまれている。
ちたまるナビ(雨宝山浄蓮寺)
本堂・大師堂