恥ずかしながら、登山から二日目ですが筋肉痛がマックス。
特にすねの筋肉である前脛骨筋(ぜんけいこつきん)が全体的に痛いです。
ちなみにふくらはぎの筋肉は腓腹筋(ひふくきん)というようです。
では前日のつづきです。
クロ岩を過ぎた辺りからちらほらと人と出会うようになりました。
その時は存在を知らなかったのですが、鳳来寺山頂とは別に瑠璃山というピークがありました。
10時19分、瑠璃山到着。
photo by ranranさん
それから程なく10時33分に鳳来寺山頂に到着。
ここは開けていないので眺望は望めません。
「巫女(みこ)石と高座(こうざ)石」
由来書きを読んでも?でした。ただ石が積んであるようにしか・・・(汗)
ちょっと道を逸れて景色の良い鷹打場に11時13分到着。
ここは展望が良く、食事されながら休憩している人が多かったです。
下りに入り、やっと鳳来山東照宮が見えてきました。
11時51分、鳳来山東照宮に到着です。
慶安元年(1648年)4月、日光東照宮へ参拝した折に改めて『東照社縁起』を読み、徳川家康の出生と三河国設楽郡の鳳来寺との縁に感銘を受けた江戸幕府3代将軍家光が、鳳来寺の本堂修復と薬師堂の再建を発願、それにあわせて新たに東照宮の創祀を計画し、阿部忠秋や太田資宗に命じて造営事業を進めたが、志半ばで薨じたため、跡を継いだ4代将軍家綱が太田資宗や本多利長、小笠原忠知等に命じて慶安4年(1651年)に社殿が竣成、同年9月17日に江戸城内の紅葉山御殿に祭られていた「御宮殿」(厨子)と神体である「御神像」(神像)を遷祀したのが創まりである。遷祀に際しては盛大な遷座祭が斎行され、将軍家綱から、家康が関ヶ原の戦いで帯刀したという太刀が神刀として奉納されたほか、諸大名からも太刀や灯篭などの奉納があったという。以後、鳳来寺を別当寺と定め、明暦2年(1656年)には幕府から社領470石の寄進があり、江戸時代を通して10回に及ぶ修理が幕府により行われている。鳳来山東照宮東照宮をさらに下ると鳳来寺本堂がありました。
こちらはこんな感じとなっております。
本堂前は大きな屋根付きの休憩所となっていました。
新日本名木百選の「傘すぎ」。
なんと樹齢は800年。
重文の鳳来寺仁王門。
鳳来寺参道の西側にたつ愛知県指定文化財の「ねずの樹」。
樹齢は推定1400年。ねずは大きなもので10メートルほどですが、このねずは元々13メートルあり枯れ枝を切り詰め現在の9メートルになったようです。
1425段の石階段を下り12時58分、駐車場に戻りました。
帰りのクルマでは眠くて仕方ありませんでしたが、年下で乗せて頂いている身、必死で目をこじ開けていました。