第十三番 板嶺山 安楽寺
第十四番 円通山 興昌寺
第十五番 龍渓山 洞雲院
出発地点の名鉄白沢駅。
ここから知多半島道路を東に潜り、新興住宅地を南下しながら県道46号に出ます。
46号を阿久比板山の交差点手前の用水路で右折し、ちょっと行くと安楽寺がありました。
興昌寺は安楽寺から用水路沿いに西へ500mほどにありました。
途中、キジを見つけたサンちゃんは小山を駆け上り追っかけ回してしましたが、ギジは飛ぶことなく素早く逃げまわっていました。
興昌寺からさらに西へ向かい、名鉄河和線を越し坂部駅の前を通って洞雲院へ。
この辺りの道が一番のんびりしていて、気持ち良かったです。
第十三番板嶺山 安楽寺文禄2(1593)年に洞雲院二世久山昌察〈きゅうざんしょうさつ〉大和尚を開山として創建されました。慶安元(1648)年現在地に堂宇を移し、今日に至っています。
本堂の西隣には、聖観音をまつった観音堂がある。この本尊は、9年に一度の開帳の時しか目にすることができない秘仏です。
http://www.town.agui.lg.jp/contents_detail.php?frmId=209「新四国第十三番礼所」
山門
本堂
大師堂
鉄筋コンクリート造りと思われる本堂と大師堂でした。
勝手な思いではありますが、それがちょっと残念です。
第十四番円通山 興昌寺永禄3(1560)年の桶狭間の戦で、織田信長が今川義元を奇襲して討ったとき、今川勢の部下岡戸祢宜左衛門が福住に住み、知多郡東浦町緒川にある曹洞宗の乾坤院四世亨隠慶泉(こういんけいせん)大和尚を迎えて開山したといわれています。
興昌寺の門前には、福住出身者の岡戸半蔵の像が行者堂にまつられています。
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山門
本堂
大師堂
小じんまりとしていますが、なかなかキレイにされていました。
第十五番龍渓山 洞雲院創建は天暦2(948)年で、菅原道真(すがわらのみちざね)の孫、菅原雅規(すがわらのまさのり)が開基とされています。
創建当時は、久松寺といい天台宗でしたが、明応2(1493)年に久松定益(ひさまつさだます)が禅透和尚を開山に迎え、久松寺を改め龍溪山久松寺洞雲院となり、曹洞宗の寺院として再建されました。
久松家歴代の菩提寺で、徳川家康の生母於大の方の墓や久松・松平家の墓地があります。
毎年3月には於大の方が女性の幸福招来を願って始まった観音懺法会(かんのんせんぽうえ)、通称「おせんぼ」が行われます。
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山門
本堂
大師堂
工事中ではありましたが、山門と本堂は立派に立て直しされています。
さすがは徳川家縁のお寺です。