Wikipedia 1634年(寛永11年)、徳川家光の上洛に伴って開かれたものであるが、大坂夏の陣へ向かう徳川家康が佐屋を通ったとの記録もあり、それ以前から既に道としては存在していたと言われる。開設された当初は万場、佐屋の2宿であったが、1636年(嘉永13年)に岩塚宿が、1647年(正保4年)に神守宿が設けられた。1666年(寛文6年)には東海道の脇往還として幕府に公認されている。明治期に入ると明治天皇の往来にも繰り返し使用された。しかし、幕末から明治にかけての交通量の増大に応えられなくなったほか、佐屋湊の設けられていた佐屋川(現在は廃川)の土砂の堆積により川船の往来が難しくなったことから、1872年(明治5年)1月8日の太政官布告により新たに前ヶ須(弥富市)を通る新東海道が定められ、佐屋街道はその歴史を終えた。