- 中日春秋
「たのしみは」とはじめて、「時」と結ぶ。幕末期の福井の歌人橘曙覧(あけみ)は生きる喜びを同じ体裁で詠んだ。歌集『独楽吟(どくらくぎん)』は知られている。<たのしみは妻子(めこ)むつまじくうちつどひ頭(かしら)ならべて物をくふ時>
▼名誉や地位でも蓄えた富でもなく、ふと目にする花、季節の移ろい、家族と共にする、ちょっとした時間に感じられる「たのしみ」が並ぶ。<たのしみは家内五人五(やうちいつたりいつ)たりが風だにひかでありあへる時>
▼できるかぎり家にとどまることが求められている今である。ウイルス禍の中、この生活に前向きななにかが見いだせるとすれば、それは家族との「たのしみ」の時間ではないだろうか
▼希望的な見方に反し、厳しい現実がある。家庭内で女性に対する暴力への懸念が高まっているそうだ。相談が団体などに寄せられ始めているという。ウイルス禍の閉塞(へいそく)感や経済的な不安などが、背景にあるようだが、許されるはずはない。被害者が逃げる場所も、休業などで限られるという
▼すでに世界共通の問題でもある。相談が急増した、被害が起きているという報道が、地域を問わず各国で相次いでいる。国連は家庭内暴力を「陰のパンデミック」と世界的大流行になぞらえて注意を促しているそうだ
▼ウイルスに対するとりでとなるべき場所である。なのに、悲しみは家庭での時と感じなければならない人がいる。支援が必要だろう。
中日新聞:中日春秋(朝刊コラム)