宍戸錠さんが亡くなりましたね。
昨日だったか、百恵ちゃんイジメの原知佐子さんの訃報も。
先日の高木守道さん然り、我々50代の人間にとって子供の頃のスターだった方々が、次々と亡くなっていきます。仕方ないことではありますが、寂しいですね。
宍戸錠さん訃報の記事の中で『カリキュラマシ-ン』という番組名を見つけ、懐かしさでいっぱいです。
ご冥福をお祈りします。
弟子の編んだ撰集(せんしゅう)に芭蕉(ばしょう)が疑問を呈した。なぜこの句が載っているのかと。<下臥(したぶ)しにつかみ分けばやいとざくら>。巴風という人が詠んだ発句という。弟子の去来は答える。「しだれ桜が満開に広がっているさまをよく言い尽くしているではありませんか」
▼芭蕉が答えていわく。<いひおほせて何かある>。言い尽くしたとして、それがなんになるのだと。余情、余韻の美学を表現した言葉は、俳諧論書『去来抄』に伝わる
▼言い尽くさない美徳があるのは句作の世界である。政治の世界は逆だろう。例の「桜を見る会」の疑惑について、ひと言でもあるかと興味を持って聞いたが、ない。安倍首相の施政方針演説である
▼カジノを含む統合型リゾート(IR)の汚職事件に関してもそうだった。不都合な話題はほとんど触れられていない。野党に材料を渡したくないという配慮もあるのかもしれない。「説明してなんになる」といっているようではないか
▼内閣の基本政策を語る演説にそぐわないという理屈もあろうか。ただ、世論調査によれば、桜を見る会の疑惑で大半の人は説明が足りないと考えている。IR整備への疑問も膨らんでいるという。多くの人が「言い尽くす」ことを望んでいるはずだ
▼この先、疑惑について説明し尽くすという意欲はどうも感じられない。今年の国会の第一句というべき演説の余韻である。
中日新聞:中日春秋(朝刊コラム)