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令和二年一月一日 新しい年 [中日春秋]


20010101.jpg けんちゃん_さんさんによる写真ACからの写真

あまりにも漢字の書けなさに愕然とした。
例えば「派手」の派の字。
自分で考えて「派手」を書こうとすると思い出せなくて、印刷された字を真似して書こうとすると、あれっとなる訳です。
ここってどうやって書くんだ?、書き順はこうか?
何度なく書き直していると、最後にはこんな漢字だったけ?、となる訳ですね。

冷たい風に葉を落とされた木々も近づいてみれば、新たな芽が枝先に生まれていて生命の気が伝わる。冬芽の時節である。柔毛に覆われたモクレン、丸みを帯びたハナミズキ…。花の姿を思ってながめるのは季節のちょっとした楽しみでもある

▼あけましておめでとうございます。俗説に「めでたい」の語源は「芽出たし」といわれ、「芽出度(めでた)し」などと当てられてきた。寒さの中でその身を小さく、固くしつつ、花や葉となるのを待つ冬芽は、一年の吉事を願う正月の「めでたさ」に通じていようか

▼人の営みは、相変わらず先行きおぼつかないけれど、めでたさをいつにも増して覚えるのは五輪という花を咲かせる冬芽がそこにあるからであろう。東京五輪とパラリンピックが迫っている

▼「勇気と夢と青春の年」。前回の東京五輪があった年、元日の新聞に詩人草野心平が、そう題した詩を寄せている。<新鮮で若いエネルギーがこの秋/極東の島に集ってくる…よき哉(かな)/一九六四年>。青春期のまっただ中にある若い国の熱が伝わる

▼再び東京に五輪を迎える日本は青春期をとうに過ぎ、枯れたと思える時季も経験している。どんな花になるだろうか。派手でおおぶりでなくても、よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい

▼<真直(まっす)ぐに行けと冬芽の挙(こぞ)りけり>金箱戈止夫。冬芽の成長を思う二度目の青春の年である。
中日新聞:中日春秋(朝刊コラム)


私の生まれは前回の東京五輪の年。
小学校の時は7クラスありましたが、現在では2クラスとか3クラスみたいですね。
「枯れたと思える時季も経験」とありますが、どう考えてもこれからどんどん枯れていきそうな日本としか思えないです。
ホントに「よきかなと後々笑顔で語り継げる大会になればいい」と思いますが、「あの時までだったね日本は」にならなければと思います。

20010102.jpg

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タグ:東京五輪
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