第五十四番 亀嶺山 海潮院
番外 亀宝山 東光寺
番外 清涼山 海蔵寺
第十八番 開運山 光照寺
福住寺から次の亀嶺山海潮院までは4Km以上の距離があります。
そろそろお腹も空いてきましたが、がんばって歩きます。
海潮院を通り越し、海の見える所まで。
埋め立て公園のようなところで暫し休憩。
海潮院を参拝の後、近くのお店で軽く食事。
ここから坂を上がって1Kmくらいで亀宝山東光寺。
東光寺から南西方面の乙川へ。
清涼山海蔵寺の辺りはクルマだらけ。後々お祭りのせいだと分かりました。
お祭りの山車を見学後、最後の開運山光照寺の参拝で終了。
第五十四番
亀嶺山 海潮院
知多四国霊場開設当時には、54番札所は野間の龍松院にあった。その後、明治に安養院に合併。紆余曲折を経てこの海潮院に移った。
山門は無かったが、大師堂は別棟になっていた。
なぜ54番がここに?でしたが、謎が解けました。
本堂
大師堂
番外
亀宝山 東光寺
1903年、開山。三河の実空誠感上人が説教所を設けたのが始まり。しかし1945年の地震で倒壊、35年後ようやく再建された。
赤い塔が目印になります。
弘法大師誕生から入定までの62年間、1年を一体で表された人形が祀られている。
階段下から
弘法堂
番外
清涼山 海蔵寺
1489年、開山。2世の田翁和尚は神通力を備え、遠く高野山の火難を予知して未然に防いだとして高野山から「蓮糸の法衣」を賜ったという石碑が大師堂の前に建てられている。
山門もなく、だだっ広い感じ。
納経所は本堂の右側の建物の中で、土間から見る古い家の雰囲気が良かった。
大師堂
第十八番
開運山 光照寺
1342年、源親房の援助により開山。当時は海辺にあり江戸時代に暴風雨でお堂が流失。1811年に現在の場所に再建。
立派な山門で、本堂と大師堂は別棟だが高廊下で繋っている。
境内には「勝軍地蔵」「心願成就地蔵」と呼ばれる次郎長地蔵尊がある。清水の次郎長が亀崎の「帆桁(ほげた)の久六」と戦う前に拝んだ地蔵さんとして有名らしく、勝負事のご利益がある。
山門
本堂
大師堂
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2014-03-19 23:37
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自分が廻ったら、スタンプラリー完成に夢中で各々いわれなんて調べないですね 多分
車でナビ頼みで廻っている爺っ様、婆っ様も ここまでは知らないでしょうね
ゆったりと廻りきったら大満足ですね
by ranran (2014-03-20 08:33)
ranranさん
本当は予習なんでしょうが、事後学習です。
いつも予習して廻ろうと思ってますが、それがなかなか・・・(汗)
事前に知っていれば、大分違うと思います。
次郎長地蔵尊なんてお賽銭して拝んで来るんでした。
by tsun (2014-03-20 18:20)