今から約1300年前このあたりは海岸で、毎夜海上に光りを放ち車輪が鳴り響くような不気味な音をあげるものがあり村人たちを不安にさせておりました。ある夜、一人の老人の夢に観音様が現れて「我をまつれ」とお告げがありました。次の朝海岸で一体の観音像を見つけた老人は村人と共にお堂を建ててこの観音像をまつります。すると昨夜までの音が嘘のように静まりました。それがこのお寺の始まりと言い伝えられています。 正面が本堂、その左手が観音堂でご本尊の十一面観音がまつられています。高さ104cm、杉の一木造り、昭和48年に大府市の指定文化財となり、17年に一度開帳されます。
ちたまるナビ(海雲山普門寺)
往古は阿久比町辺りにあり、鎌倉時代に現在地に移ったといわれている。延命寺は七堂伽藍を備える大寺院であったが、戦火のためにすべて消失してしまったという。その後,1533年(天文2)に後奈良天皇より宝龍山という勅額を賜り,さらに横根城主の梶川氏や緒川城主の水野氏,さらに尾張藩主より二十石の禄や田畑山林の寄進を受けるが,かつての勢いを取りもどすことはなかったようである。当時の隆盛をものがたるかのような山門、昭和34年に県の指定文化財になった「刺繍普賢菩薩像」、狩野之信作・花鳥図、曼荼羅図など、宝物を数点所蔵している。
ちたまるナビ(宝龍山延命寺)
560年に桶狭間の戦いで非業の死を遂げた今川方2500人の霊を、寺の北にある小高い丘の上に葬り、弔いました。以後戦没者の戦没者の供養を続けています。 数百年にわたり「寝たきりで下の世話をかける苦悩」を取り除く、しもの守り神・トイレの神様とも呼ばれる「うすさま明王」がまつられています。毎月29日の縁日には、境内に露店も並び賑わいます。 特に11月29日には「豊明の大根炊き」と言われる縁日が行われます。祈祷した大根を炊き上げ、参拝者にふるまいます。これを食べると「しもの世話をかけないご利益」があると言われているそうです。この日にはうすさま明王のお札を授かることもでき、このお札をトイレの入口に貼ると下半身の病や婦人病に霊験あらただとか。 札所所在地地図、納経帳、白装束など巡礼の七つ道具も用意されています。
ちたまるナビ(清涼山曹源寺)
1620年、僧善栄が東浦町緒川にある善導寺の教道所を置いたのがはじまりです。その後百年余り教導が続けられ、地元では「極楽寺さん」と呼ばれ親しまれています。 正面の本堂にはご本尊の無量寿仏、その左手の大師堂は大正8年に建立され、千人の信者から一体ずつ寄進された小さな弘法像千体が両側に並んでいます。 2歳の年、弘法様とともに祈願すれば様々な願いが叶うと言われています。
ちたまるナビ(法蔵山極楽寺)
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